星野泰啓理事長より(1)

「津久井やまゆり園の事件と障害者権利条約」

津久井やまゆり園での悲惨な事件は、同じ県内の仲間の施設のことでもあり、大きなショックと利用者の方々の不安が広がりました。マスコミ等で知る容疑者の主張は「私の目標は重度障害者の方が家庭内での生活及び社会活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる社会です」とあり、これは優生思想に他なりません。歴史ではナチス・ドイツの例が最たるものですが、我国でも古い話ではありません。平成八年「優生保護法」が「母体保護法」に改正されました。又、同年「らい予防法」が廃止された年でもあります。やっと日本の法律から優生の文字と一部の人の排除が消えたのは、まだ二十年前のことです。昭和五十六年の国際障害者年の時、国連は「一部の構成員を締め出す社会は弱く脆い社会だ」と示しました。平成二十六年、我国も批准した国連・障害者の権利条約では「障害者も含め、すべての人が安全で安心して暮らせる力強い社会をつくるため、自分を守る力の弱い人(高齢者・障害者・子供等)を支える社会にすることが必要」としています。

 古代、人間社会が生まれた頃、障害のある人は遺棄されました。そして宗教が広がる中世、嘲笑いや同情の対象となり、近世から現代にかけて恩恵から保護の対象と変わり、現在、平等・権利保証・人としての尊厳の理念が取り上げられています。現在の理念は未だめざすべき道、あるべき姿であり、日々の暮らしの中で一歩づつ創り上げてゆくものと私は考えます。依然として私自身の中にも、古代も中世も近世も潜んでいることを否定できません。内なる差別と戦い続けなければなりません。

 母親は命がけで子供を生み、子供も命がけで生まれてきます。どんな命も尊いのです。
 市民社会は様々な違いを前提に多様性で成り立っています。違いや強弱で価値を決め、一方の排斥を生むことは人間社会を否定し、崩壊させるものです。
 間違いなく言えることは“自分の考えや信ずるものをもつことは必要で大切なこと”“だが自分の考えや信ずるものだけが正しく他は間違いとして他を排斥することは絶対にやってはいけない”。その排斥はテロリズムに繋がり、人間の社会を崩壊し、「福祉」の否定です。違いを認め合い、理解し合い、おりあいをつけながら暮らし合う社会づくりを国連・障害者権利条約は言っています。

※平成29年1月1日発行 広報誌「かわらばん No.58」掲載コラム「ふわふわ」より

2017年01月01日